Installation, 2010 with POS建設観察設計研究所 Rokko Meets Art, Mt,Rokko,Kobe,
Water, AcrylicGrass, wood, colors etc Wasser, Acrylgrass, Holz, Farbe u.z.w. 水、アクリルガラス、木材、紙管、絵の具他 When i fall into a feeling of a blockade, in a work or a human relations, like there is big wall in front of me. I would like to go to a place with a good view. In a town, there is too many building to see a long distance. By seeing a different scene as usual and seeing a town from a different direction, sometime it can be given a new point of view. same like, hearing people's talk or appreciating a work at an exhibition, it is a experience which touches what does not have in ones everyday space. It is similar like looking through telescope, it take beyond ones visible space. it symbolize my ideal condition of art work, it shows something that is not there. 仕事や人間関係に行き詰って、目の前に壁が立ちはだかっているような閉塞感に陥ったとき、私は見晴らしのい い場所に行きたくなります。 街では、視界が建物にさえぎられ遠くを見ることが出来ません。いつも見る風景と違う風景を見たり、いつもの 街を違う方向から見ることで、見方に余裕が出来たり、時に新しい視点を持つことが出来るようになります。 同じく、人の話を聞くことや、展覧会で作品を鑑賞することも、自分の日常空間にないものに触れる経験であ り、望遠鏡を使って物を見るように自分の視点から離れる行為で、「その鑑賞体験を通してそこにないものを見せる」という意味で私の理想とする美術作品を体現しています。 今思うとこの作品は、私の個人的なジレンマに由来しているような気がします。 ドイツには、英語の home sick に対応する Heimweh と言う言葉ともう一つ、その対義語の Fernweh と言う言葉があります。直訳するとFern(遠くの)weh(痛み)となり、旅に出たいと思う気持ちを表します。 美術作品制作時には、非日常的な体験を提供しようと常に考えていますし、自分が他人の作品を鑑賞する場合は、外国の通りを歩く時のように日常的に存在する「違い」や「差」を求めています。 しかし、さて創造で作り上げた幻想を持ってある土地に旅をすると、contemporaryな日常があまりに普通で、在り来たりで退屈に思えてしまいます。 旅先で見つけることのできる非日常は、自分の住む町でも見つけられる範囲の物がほとんどです。まさに旅に出る事で、旅の不必要性を知るのです。 それでも私は Fernweh を感じます。現実逃避か好奇心か、ここにはない物を求めてしまうのです。しかしこれは私の美術作品制作におけるモチベーションでもあります。自分のこの Fernweh を根拠に、他にも想像の具現化を求める人がいるのではないか。それはその人の精神生活を保つ上で必要なのではないか、と思うのです。 cooperation with kometani co.,ltd 協力 米谷紙管製造株式会社 http://www.papertube.co.jp/